4 絶頂期
98年頃になると、先に述べた3大バンドの勢いは衰えないまま、ヴィジュアル系ロックの絶頂期が訪れます。この時代には「BREAKOUT」というレーベルおよびテレビ番組がヴィジュアル系のシーンを盛り上げ、そこから数々のバンドが誕生しました。「ヴィジュアル系」という言葉がこの頃になって生まれ、メディアでももてはやされるようになります。
私はこのレーベル主催のイベントであるBREAKOUT祭を見に行ったことがきっかけでPIERROTにハマり、ライブへ足繁く通ったりCDを買いあさったりするバンギャになりました。とはいえ当時は中学生ですから、PIERROTを追いかけるのに必死で他のバンドについてはそこまで詳しくありません。まず知っている範囲でのみ時代を振り返ってみます。
この時代に「ヴィジュアル系四天王」と呼ばれていたのがSHAZNA、MALICE MIZER、La'cryma Christi、FANATIC◇CRISISです。MALICE MIZER以外はBREAKOUTの出身です。特にSHAZNAは「Melty Love」が大ヒットし、メイクもそれまでのバンドと比べて格段に華やかで、ヴィジュアル系というジャンルを良くも悪くも世間一般に知らしめたバンドと言えます。ピンクに髪を染め、女性かと見紛うルックスのボーカル・IZAMのアップ映像は多くの人の脳裏に焼きついていることでしょう。私が四天王の中で最も好きだったMALICE MIZERは、Gacktが第二期ボーカルとして所属した時代に大きな人気を誇りました。中世フランスを意識した「耽美系」の元祖として君臨し、ギターManaのファッションとメイクがゴスロリ文化の火付け役になりました。演奏よりも衣装やパフォーマンスで魅せるバンドでしたが、音源のクオリティの高さはインディーズ時代から光るものがありました。
参考
SHAZNA 「Melty Love」http://www.youtube.com/watch?v=YrYGzWl0UWA
La'cryma Christi 「In Forest」http://www.youtube.com/watch?v=UTl24o-80rc
そして、この時代からの二大勢力として挙げられるバンドが、PIERROT(当時の表記はPierrot)とDir en greyです。
PIERROTもまたBREAKOUTから輩出されたバンドで、社会体制への批判などを盛り込んだ強いメッセージ性と、シンセギターを多用した独特の音作りを特徴としていました。99年に西武ドーム公演がソールドアウトし、デビューからのドーム公演完売の最短記録を打ち立てました。ちなみにこの西武ドーム公演は客席が「AGITATOR」と「FOLLOWER」の2サイドに分かれており、私はFOLLOWERサイドでこのライブを見ていましたが、特にAGITATORサイドとの差異はなかったように記憶しています(あれは何だったのかと未だに謎です)。
また、PIERROTのライブといえば「振り」が重要でした。主にボーカルのキリトの動きに合わせて客席も全員で踊るというものですが、Xジャンプの比でなく難しい振り付けが曲ごとに決まっていました。手首をくねらせてステージに向かって送り出すような動き=手扇子などはROUAGEのライブなどでも見られた文化ですが、曲ごとに違ったフリを全員揃って行うという文化はPIERROTが生み出したひとつのヴィジュアル系文化であると考えてよいでしょう。
参考
Pierrot「MASS GAME」ライブ
http://www.youtube.com/watch?v=q06pnPpEQJ0&feature=related
Dir en greyはインディーズの頃から関西で大きな人気を誇っており、「I'll」がオリコンインディーズチャートの1位を記録しました。コテの基礎を作ったとも言えるバンドで、衣装はそれまでのバンド以上にコンセプチュアルでメンバー毎のキャラクターを重視したものでした。YOSHIKIがプロデュースし、デビューシングルとして同時発売した3枚のシングルは全てオリコン初登場10位以内を記録し、なかでも最も激しい楽曲「残-ZAN-」はミュージックステーションで披露され大きな話題になりました。ボーカル・京が血みどろで行ったパフォーマンス、包帯で巻かれた人間が逆さ吊りになったセット、そして演奏終了後にタモリの目の前を横切るメンバー達の姿は当時あまりにも衝撃的で、この放送が以降の「ヴィジュアル系」の世間的な印象を形作ってしまったとも言えます。あの放送から十余年が経った今も、Dir en greyの名を口にすると「ああ、あのミュージックステーションですごいことしてたバンド」と言われることがあります。
参考
Dir en grey 「残-ZAN-」http://www.youtube.com/watch?v=bqUbK_6bw8E
ただ、現在のDir en greyはかなり方向性が変わり、以前はメロディアスでキャッチーなものが多かった楽曲もハードなものが主になっています。メイク等もほとんどせずラフな服装をしていることが多くなりました。このことについては別章で書きたいと思います。
ヴィジュアル系四天王がそれぞれとうの昔に影を潜め過去の遺物となった上、PIERROTも解散してしまった今となっては、活動を続け音楽的に成功を収めているDir en greyの功績はヴィジュアル系にとって非常に大きなものといえます。
PIERROTのファンをピエラーと言います。ピエラーは全国的なネットワークを持ち、サークルなども各地で勃興して、ペーパーの発行などといったことも行われるようになりました。また、原宿の神宮橋で集会を行うという一つのバンギャ文化も作り上げました。私もメンバーの誕生日などにははるばる神宮橋までやってきてケーキを分け合ったりしていたものです。どのメンバーを好きかによってSLAVEと同様に「キリター」「アイジャー」「ジャー」「コーター」「タカー」と呼称が違っており、初めて会うピエラーさんには「どなターさんですか?」と尋ねる慣わしのようなものがありました。ちなみに私は十年以上ジャーを貫いています。
一方Dir en greyのファンは曲名から「虜」と呼ばれ、ピエラーとの間に激しい確執がありました。ファンにおける「好きなバンド至上主義」とも言えるものがこの頃に出来上がってきたのです。虜にとってはDir en grey以外、ピエラーにとってはPIERROT以外のバンドは邪魔者でしかなく、抹殺すべき存在とすら考えられていたのです。バンギャが宗教的なまでにバンドを愛する文化はこの頃に興り始めたと言えます。特に虜とピエラーは異常なまでにいがみ合っており、互いの撲滅運動に奮闘しました。私はといえばピエラーでありながら中立的な立場で虜でもあったので、これらの運動には非常に心を傷めました。ピエラーの仲間に虜でもあるということが知れれば仲間外れに合うだろうし、反面虜からPIERROT撲滅の署名を強要されれば断るわけにもいかない、といった異様な状況でした。今になって考えるとどうしてあんなに嫌いあっていたのかと首を傾げたくなってしまいますが、当時の双方のファンにとっては自分の好きなバンドが全てだったのです。
これらのバンドに追従するように、この時代(98年?2000年頃)はたくさんのヴィジュアル系バンドが登場しました。Cali≠Gariが「実験室シリーズ」を発売し人気を博した一方、ムックも独特の退廃的でシュールな世界観でファンを獲得していきました。メタルの要素を強く取り入れたJanne Da Arcもデビューし、男性ファンをも魅了していくようになります。ヴィジュアル系はひとつの社会現象となり、バンギャというほどの人でなくても多くの人がヴィジュアル系を聞いていました。
90年創刊の「SHOXX」をはじめ、「FOOLS' MATE」や「Vicious」といったヴィジュアル系を扱う音楽雑誌が発行部数を一気に増やしたのもこの頃です。一般の音楽雑誌であった「バンドやろうぜ!」「PATI-PATI」「News Maker」等がヴィジュアル系バンドを主に特集するようになった他、「BIDAN」等の男性向けファッション誌においてまでヴィジュアル系のバンドマンが表紙になったりもしていました。当時は私の住んでいた田舎の書店でも、音楽雑誌コーナーのほとんどがヴィジュアル系で埋め尽くされていたと記憶しています。
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